2015-12-27

かじかんだ手に温もりを

今日は北風が厳しくて、今年初めて犬の散歩中に手がかじかんだ。暖冬暖冬言っても寒い日はたくさんあるものだ。こんな日にはうちの暑がり犬、ボブがよく歩く。シベリアンハスキーの混血が噂されるボブは風が強ければ強いほど、吹いてくる方角へ向かっていくようにノンストップで突き進む。ボクは寒がりなので、肩をすくめたり、時たま後ろ歩きをして正面から風を受けないようにしながら付いていくのがやっとだ。ソリで引っ張ってもらいたいぐらいだが、多分ボクがソリに乗ったら一歩も歩くことはないだろう。

住宅街のあちらこちらで、「火のよーじん!カンカン」と人々が年の瀬を知らせている。狭い路地をカクカクと進みながら所定のAコースを歩き切り、休憩所であるいつもの小さな公園にたどり着いた。ボブが真っ先に向かったのは蛇口のある水飲み場だった。この乾燥ですばやく動けばやはり喉が渇くのだろう。とは言え、犬の水飲み場ではないので直接飲むことはできない。まずボクが蛇口をひねり、手を皿のように作って冷たい水を受け、そこに溜まった水をペロペロと飲むことになる。既にかじかんでいる手を見て少し躊躇ったが、蛇口を直接なめられては後の人に迷惑を掛けるので、仕方なく片手で皿を作って水を落とし始めた。

すると、どこからともなく「火のよーじん!」の行列が現れた。数十人規模の大行列だった。ボブはそれに気を取られて固まった。構わず冷水がボクの手を流し続けている。「早めに飲め」と言っても長い列をひたすら見ている。手はジンジンし始めている。列はまだある。もう手も厳しくなってきたし、もう飲まなくていいんだろうと思って皿を割ろうとした時、ペロッと一口だけ口をつけてそこを去った。この一口のために手を痛めたのか・・・。まあいいと思ってポケットに手を入れたが、まだ湿っているからか、なかなか温まってこない。そこへ、もう片方の手に持っているモノの存在に気が付いた。触ってはいないが、まだ生温かいような気がした。それはビニール袋に入った、さっき向こうでやってきたボブのモノだった。心の隙を突かれ、気付くとボクは、まんまるい月を見ながらソレを掴み、暖をとっていた。遠くの方でカーンカーンと心地よい音が鳴り響いていた。

2015-12-25

メニーメニーチキン

クリスマス・イブがやって来た。若い頃は、「日本人のボクには関係ないのにケッ」としか思っていなかったが、次第にその尖った精神も丸くなり、どうでもいいじゃないか、なんだか雰囲気明るいし、ケーキ食えるかもしれないしと、今では普通に楽しんでいる。とはいえ特別な何かをしているわけでもないが。

スーパーへ買い物に行くと、きらびやかにクリスマスコーナーが特設置されており、惣菜コーナーから精肉コーナーまで七面鳥で溢れていた。メニーメニーチキンだった。鶏肉を見てとっさに浮かべてしまうのが屠殺場だ。某大手鶏肉店に卸すための屠殺場で働いていた知り合いから、なかなかエグい話を聞かされて生命について考え込んだ事がある。今ではすぐに掻き消せるほどになったが、肉を見た時の一瞬だけはどうにも仕方がない。

それにしても、夕飯時を過ぎているにも関わらず大量に売れ残っている。そう言えばここへ来る途中、人気の鶏肉専門店がいつもよりも遅くまで片付けをしていた。客足がそっちに集中したのだろうか。個人的には小さな個人経営店なので応援の意味も込めていつもそこで買うが、今日はこのスーパーを応援しなければならない。と思いながらチキンを買って帰らなかった。昨日食べたばかりだったから。

今日売れ残ったチキン、明日もそのまま販売されるといいな。

2015-12-23

孤独なオカメ男

オーストラリアで一般的に見られるオカメインコという鳥を2羽飼っている。正確には、同居人のリサが飼っていた所へ、ボクが寄生虫のように寄生したつもりが、逆に世話を任されるようになっただけなのだが、特別なつかれてはいない。リサがダイバーということもあるせいか、名前は「シーちゃん」「フグ」とついている。

シーちゃんは、海の "sea" から取った名で、白と薄いグレーの体色で白い鶏冠を持ち、オカメインコの最大の特徴とも言える頬紅を塗っていない「ホワイトフェイス」という配合種の雄である。
フグは流れ的に「河豚」から取ったと言いたいとこだが、伝説のK1ファイター「アンディ・フグ」から来ている。当時聞いた時の驚きは忘れられないが、グレーの体色で黄色い鶏冠を持ち、永遠に色褪せることのない橙色の頬紅を塗っている「ノーマル」と言われる種の雌だ。

フグは、生まれつきくちばしの上下がずれていてうまく噛み合わない。餌もシーちゃんと比べると上手く食べられないが、ずれていることで何より危険なのは、放って置くと伸び続けてしまう尖ったくちばしの先端が、下からえぐるようにぐるりと巻いて自らの喉へじわじわと襲いかかる事だ。もしもオーストラリアに生きていればと考えると、喉を圧迫されて苦しんだあげく、乾ききった土地に墜ちて骨になってしまう事を想像する。売れ残っていたのをリサがわざわざ選んで買って帰って来たらしい。

毎月フグを鳥獣医の所へ連れて行って、くちばしをニッパーでパチンと切断してもらう。この定期メンテナンスは、作業的には飼い主自ら出来ることなのだが、これがまた厄介なことに身体を掴んでトリ抑えると、多くのオカメインコはストレスで鼻を真っ赤にして「てんかん」を起こす。そのまま死んでしまう場合もあるそうだ。時間は短ければ短いほど良いとの事でプロにお願いしているのだが、この先生も数をこなす毎にレベルを上げている。今ではほんの数秒で始末出来るようになって・・・と先生の事を書いてると、おもしろエピソードが思い起こされてどんどん出て来てしまうのでまた別の機会に書こうと思う。

フグはさておき、実は真の問題はシーちゃんにある。いたって健康で、フグと一緒にいさえすれば、ウグイスを真似た「ホーホケキョ」の歌声が一日中鳴り響く。ウグイスの真似と書いたが、実際は「ウグイスを真似た飼い主の口笛の真似」というワンクッションがあるので、たまに本物のウグイスの声を聴く事があると、あまりの質の違いにびっくりする事もある程だ。数年前、その偽ホケキョが、セガトイズの大ヒット商品「夢ことり」のモデルになった。愛鳥家に大絶賛されたそうだ。家まで声を録りに来たメーカーの収録陣達は、オカメインコも「ホーホケキョ」と鳴くのだという事を最後まで信じて疑わず、熱心に辛抱強くマイクを傾け続けていた。ボクらは笑いを堪えながら収録を終えるのを待っていたが、まさか本当にオカメインコの鳴き声として商品化されるとは思っていなかったのだ。

どこかのご家庭で活躍中の偽ホケキョの映像はこちら。




脱線したが、フグがくちばし切りに出掛けると、一人でウグイスの練習を始める。どうやらウグイスに成りきる事がセックスアピールに繋がるという不純な教えをどこかで聞いてきたらしいが、昨日初めて何気なくリサの肩に置いてみた。すると一声も発しない。うざったくなるぐらいの存在感が微塵も感じられない。一体どうしたのか。それから数十分経っても黙ってじっとしている。ああ、これはフグの死を悟った(また間違っている)のだな。肩に乗せた事で、これからは飼い主を相方として生きていかねばならないという鳥生に入ってしまったのだなと思った。こんな小さな1羽の鳥からでも発せられる孤独感と絶望感は半端じゃない。これはいつか本当にフグが逝ってしまった時の疑似体験に他ならない。今にも自ら目を閉じてしまいそうな男の刹那さよ。

フグはもうとっくに平均寿命を超えている。

2015-12-22

意味のある生き方

久しぶりに海岸へ行った。海も久しぶりだったが、広い場所自体へ来たのが久しぶりで気持ちよくて嬉しかった。空も地平線も海面も面白い。潮溜まりを覗き込んでみたり、岩の上を歩くのも楽しかった。下に目をやれば、よく見かけるパーツがたくさん落ちている。こういう貝殻がああなるのか、こういうガラスがあんな風になるのかと、磯拾い好きな作家が利用しそうな素材を拾っては捨て、また拾ってみては眺め、スペースデブリのような漂着物が視界に入りながらも、宇宙のような砂浜をただただ歩いた後、夕陽に背を向けた。

ボクの尊敬する人から、「意味のある生き方をした方がいいよ」と言われた。しばらく考えてはみたものの、結局いまの自分には「意味」の意味が分からなかった。それが「意味がない」ということなのかもしれないと思った。歳をとって少しは中身が詰まったと感じていたが、そんなこともまだ分からない若僧なのだと知った。知ったら、なんだか若返ってきたような気もしたが、相変わらずフィジカルとのバランスが取れない日々が続く。