2012-07-14

ナスの拷問

私はナスが嫌いである。今も昔も嫌いである。色も形も匂いも味も食感も名前も声も嫌いである。そもそも、食べ物として認めていない。


チムニーはまた新たに崩れたらしく、麓にはその分が堆積されていた。それからまた上に向かって細く長く伸びたようだ。なんだかチムニーらしい形になってきた。

上に細く長く伸びたチムニー

ところで最近、料理を頻繁にするようになった。だが突然作れと言われると何を作っていいのかわからなくなる。美味しく且つ、自分の感覚で作れるような一品がまだないのだ。しかし色々やってみなくてはと思い、ハードルの高そうな天ぷらを揚げてみようと思った。スーパーに天ぷら向きの旬の野菜がたくさん並んでいるのを知っていたからだ。

材料を買いに行こうと、食べたい食材をリサに聞く。

リサとはもう七年の付き合いになる私の大切な人だが、いつも私に対しての扱いは酷いものだ。どれぐらい酷いのかは文章で表現するのは難しいので割愛する。でもまあ、そのおかげで私の中の色々なものが引き出され、こうして豊かに生きていられるのだから有難い事だと思っている。深海マザーもチムニーもこのブログも、リサ無くして生まれる事はなかっただろう。

私 「何か揚げたいのある?」
リサ 「ナス」
私 「それ以外で・・・」
リサ 「なす」
私 「他は・・・」
リサ 「茄子」

スーパーでかぼちゃ、ししとう、いんげん、しめじ、大葉、それと、おナスを二本も買ってきた。なにやらこのナス野郎、ヘタでもつまんでそのまま油に放り込めばいいと思っていたが、下処理が必要らしいではないか。縦半分に切って、タコウインナーみたいに切れ目を入れて、水に浸し、水分をふき取り、粉をまぶし、衣を付けて、揚げる。こんなにも触らなくてはならないのか。一番手が掛かるではないか。手の掛かるヤツは可愛いと聞くが、全然可愛くないではないか。

一連の拷問を受けた後、特に病気になる事もなく、無事に茄子天としてリサに食べさせる事ができた。見た目も味も 「ぱぁぱぁ(まぁまぁ)」 との事。私がナスに対して愛がないので当然その程度だろう。

しかし後で考えると、ナスに対して一つだけ魅力を感じたことがある。それは包丁で切った時の感触だ。スパッと何とも言えない心地よい感触が未だに手に残っている。認めたくはないが、たった一つでもナスを見直す事ができたのは大きな収穫かもしれない。ただ、切った次の瞬間のあの強烈な臭さも鮮明に記憶されている。

ナスは嫌いである。